1993-04-21 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第9号
それでは、総理は、水田先生や保利先生、特に保利議長が国権の最高の機関である国会の衆議院の議長としてお述べになった説は、当たっていないとおっしゃるんですか。
それでは、総理は、水田先生や保利先生、特に保利議長が国権の最高の機関である国会の衆議院の議長としてお述べになった説は、当たっていないとおっしゃるんですか。
○宮澤内閣総理大臣 保利議長の御見解あるいは水里二喜男先生が衆議院で述べられた御見解、私両方とも承知いたしておりますけれども、政府としては従来そういう見解をとってまいりませんでした。私も従来の見解に従っていきたいと思っております。
○山口(鶴)委員 私のただいまの主張は、名議長と言われた保利議長が有名な保利見解の中で強調された問題です。私は、このことはやがてまた問題になると思います。この際、国論を二分し、前の選挙で争点にならなかった重要な問題が大きな問題になったときには国民に信を問うのが議会制民主主義のルールであるということは、この際強調しておきたいと思います。 次に、協力法の問題です。
参議院の際に示された有権者の皆さん方の御意思を厳粛に受けとめる、それから保利議長あるいは浅沼元委員長の御見解なり残した言葉を十分踏まえるというならば、当然廃止、これが当然じゃありませんか。
○海部内閣総理大臣 今山口委員の御質問を聞いておって、私もあの非核三原則というのを国会で決議しましたときに、先ほどお触れになりました保利議長のときのことであり、私が登壇をして賛成討論をしたことを思い出しました。 持たず、つくらず、持ち込まずということは、これは国民にも支持される大きな大きな問題である、国会で決議をしました。以来、私どもはこれを厳重に守り、国是として受けとめてまいりました。
保利議長が言っておられるのは、直前の総選挙において公約をした、それと全く質の異なる問題が出てきた、そうしてこれが大きな争点になった、その場合には改めて国民に信を問うのが当然だと、こう言っておられるのですよ。解散をして国民の意見を問うて、それからさらにその上に立って審議をする、これでなければ正常な国会運営は期しがたい、こう言っておられるのですよ。それと全く反するじゃありませんか。
また、保利元議長は「解散権についての保利議長見解」を残されております。すなわち、現憲法での解散は、憲法第六十九条による内閣不信任案が成立した場合のほか、「その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や諸政策にかかわらず、選挙後にそれと全く質の異なる、しかも重大な案件が提起されて、それが争点となるような場合には、改めて国民の判断を求めるのが当然だということである。
百周年を迎えるに当たって今後どういうことをやるかということでございまして、今先生のおっしゃいましたとおりに、保利議長のときに国際会議場のお話を、私も確かに承っております。それ以後、五十四年から議院運営委員会におきましては、国際会議場建設小委員会、これは先生も小委員長におなりになったものでございますが、毎年それを設置をいたして研究を続けてきております。
○上坂委員 それでは最後の質問に移りますが、昭和五十二年の十一月十日に、私は質問主意書を当時の保利議長に対して提出をいたしました。「工業所有権制度の国際化に伴う審査体制に関する質問主意書」、こういうのを出したのです。
大変結構ではないかということで、各党とも保利議長の当時の御提唱に賛意を表しまして、そして国会の議運の中にも国際会議場小委員会を設置をいたしまして、不肖私がいまその小委員長をいたしておりますが、しかし、財政難でもございますので、昨年度調査費三百万、本年度も調査費三百万程度ということで前進はいたしておりません。 しかし、過般、京都の国際会館をこの国際会議場小委員会で調査に参りました。
議員一同はもとより、テレビに見入って、国会中継を聞き入っていた国民も、議長席の保利議長のやつれられたお姿に、御病状を案ずる気持ちを抑えがたく、しばらく副議長に任せられて御休養をと祈っておりましただけに、名議長の辞任の御決断を惜しまぬ者はありませんでした。(拍手) 次の日、病院へお見舞い申しましたところ、前日と違って顔に赤みが戻り、見違えるほど元気になっておられました。
亡き保利議長は、私ついこの間まで議運の理事をいたしておりましたけれども、議会制度協議会の席上で、ここに塩川さんもいらっしゃいますけれども、各党みんな合意いたしまして、一刻も早くこれをつくろう、議長も一刻も早くこれをつくろうとおっしゃったにもかかわらず、いよいよ最終的な段階になりますと、あなたの率いておられます自民党の方が、それは屋上屋であるとか、あるいは法案を審議してくれないからいやだとか、逆転委員会
本日午前九時四十五分、福田内閣総理大臣から、保利議長あてに 内閣は、本日、総辞職をすることに決定いた しましたから、国会法第六十四条によって、こ の旨、通知いたします。との通知がありました。 したがいまして、本日の本会議において内閣総理大臣の指名を行うこととし、その手続等は、後刻本日の議事とあわせて御協議願うことといたします。 —————————————
○秦豊君 時間を節約するために私の方から申し上げますが、あなたはお親しい保利議長にはお電話ないし面談、恐らくお電話であろうと思うが、相談をされたと私は思う。丸山次官は、大平さんと中曽根さんに根回しに行かれた、これは面談であったと、総理とはじっくり話し合われたという記憶をお持ちですか。かなりあわただしくお話をされたんじゃないですか。本当に短い時間、違いますか。
また、先ほど保利議長という話も出ましたが、保利議長にも私も相談をいたして、保利議長からもそれは重大なことだと理解を得たわけでありますが、いまおっしゃられるように、自衛隊法とかなんとかということでなくて、シビリアンコントロールということはまた本人の統幕議長のそういう立場からいえば重大な一つの事件ですから、国会でも国会議員が除名されるというような重大な問題のときは一身上の弁明が十二分にできる時間もあることであります
○国務大臣(金丸信君) 委員会をつくるということは私もかねてからの私の考え方でありまして、ちょうど衆議院の議運の委員長をやっているとき、保利議長とも相談いたしまして、また各党ともこの問題を話し合って、何回か議長の公邸でこの問題を真剣に討議をいたしたわけであります。議長は、つくることに意義がある。私もつくることに意義がある。
先般、日中問題が解決する前に保利議長と会いましたら、保利議長自身も、これからの日本の政治は日ソ関係を改善する、そしてよりよくするということに最大の力を入れるべきだ。私も全く同感でありましたが、政府もそのような考え方で対処していくと私は確信をいたしているわけであります。
話は変わるんですが、私は先般保利衆議院議長といろいろ話をしたわけでありますが、日中関係が正常化してくる、この次は日ソ関係を、平和外交というものを強く進めるべきだという話をいたしましたら、保利議長も、全くそのとおりだ、できれは私は——保利議長が言うのです。
とにかく日中関係の最悪な事態をまとめようとした近衛さんの蒋介石を相手にせずという表明がかえってまとめる綱を失ってしまったように、いまの符浩さんがそういうことを言うのは失礼じゃないかと言うが、日中間において相当煮詰められたにもかかわらず、公然とたとえば中曽根総務会長のごときは、きょうの――私は新聞記者出身で新聞が全部正しいとばかりは言えないけれども、あの佐藤さんの息子をおだてるおだて方なんかは、さすがの保利議長
○国務大臣(金丸信君) 与党の自民党の中にもそういう考え方を持っておるという人がおるようでありますが、そういうような状況の中で、私は保利議長と三宅副議長にお話し申し上げましたのは、せめて、参議院の方でいろいろ御議論があるようだけれども、いわゆる特別委員会というものは衆参両院一致してつくられなくちゃならぬものでもないでしょう、ということであれば、衆議院だけでもまずつくってくださいと、こういうお願いをいたしておるわけでありますが
今後は、御見識の豊かな保利議長、三宅副議長の御鞭撻を仰ぎ、また国会運営に練達堪能な理事、委員各位からの御指導と御協力を賜りまして、本委員会の円満な運営に努めてまいりたいと存じます。 何とぞよろしくお願い申し上げます。 はなはだ簡単ではございますが、ごあいさつといたします。ありがとうございました。(拍手) —————————————
私、議院運営委員長に選任されまして、約一年間、在任中大過なくその職責を果たすことができましたことは、保利議長並びに三宅副議長の格別な御指導と理事並びに委員各位の御理解ある御協力のたまものでございまして、この機会に衷心より感謝の意を表し、厚く御礼を申し上げる次第でございます。 今回、はからずも国務大臣防衛庁長官に就任いたしました。
保利議長もお目にかかられるでしょうが、いま日本においでになる張香山さんを通じてのこのことに対する何らかのアプローチというものは何もないのでしょうか。
姫路会談で首相は保利議長訪中に親書を託すという発言をされたんだが、その直後の五月三十一日、自民党総務会で、この問題で濱野清吾会長と久野忠治、朝鮮民主主義人民共和国に使いをする、この二人と青嵐会の諸君とが大激論を闘わした。この激論が闘わされてくると総理の姿勢が少しずつ後退していく。
五月二十九日になりますと、保利議長に訪中の際親書を託すという話が流され、そして、それはその数日以内に取り消されました。 六月十日には、福田総理は、多忙であって日中問題なんかを考える暇はないと堂々御発言になりました。マイナスになりました。これは中国側の猛反発を招きました。